レーシックイメージ

受けられないレーシック

20代の頃、海外旅行にはまった。
スキーにスカイダイビング、スキューバダイビング、オーロラ観測に海外の野外音楽ライブ。
色々なことをしたけれど、何かとわずらわしかったのが、メガネ。
初めてスカイダイビングしたときは、一緒に飛んだ友人は絶景だったと話していたが、何となく綺麗な景色だったと、後味の悪い感想になってしまった。
スキューバダイビングをしたときは、コンタクトレンズを用意したが、コンタクトレンズは水に濡れると変質して、眼球にくっつくと聞いて、裸眼でスキューバダイビングに挑むも、当然のごとく視界がぼやける、昆布なのかうつぼなのか分からずパニックになることもしばしば。
オーロラを観測しに行ったときは、外気温がマイナス40℃だったため、金属のメガネが折れる危険があったので、プラスチック製のメガネフレームを準備していざ観測を始めるも、自分の息でメガネが曇り、そのメガネについた水蒸気が外気温によって凍り、仕方なしに後日カメラ越しにオーロラをみるという悲しい観測となった。
小さい頃からメガネをかけるようになり、10代の終わりには両目とも網膜はく離をしてしまった。
網膜はく離の手術はそれはそれは怖くて痛かった。
白目に麻酔を注射し、目を消毒され、手術室の中では先生たちの会話が聞こえる。
その方向に目を向けようとしても目が動かない。
麻酔を注射されているので、動かないのである。
金縛りにでもあってるような気分だった。
先生たちの会話を聞きながら、迫り来るメスやらハサミ。
当然のことながら、ただただ、耐えることしか出来なった。
網膜はく離は、網膜がはがれていることで、目から見た景色をちゃんと視神経に伝えられず、ゆがんで見えることになる。
手術したのは網膜なので、角膜の手術であるレーシックとは関係ないのだが、あの迫り来るメスやハサミ、視線を逸らせることができない恐怖をできればもう味わいたくない。
メガネはメガネなりに不便である。
朝起きてめがねを探す、顔を洗ってまためがねを探す、服を着替えてはまためがねを探す。
常にメガネを探してしまう。
ときおり、ちょっと前に何処においたか忘れるなんて認知症なのかとも悲しくもなるが、基本的に定位置に置くのを習慣づけるので、ほかの物忘れは少ないほうだと思う。
ちょっとした副産物だ。
視力については生活を左右することが多い。
出来ることなら、レーシックをうけて、裸眼での生活を体感してみたい。
ただやはり、網膜はく離の手術からの恐怖でレーシックの手術は受けられない。

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